『自立した働き方』を求めて選んだコンサル道。30歳で飛び込んだ「観光業界」で見つけた地方創生の使命/幾竹優士様 インタビュー<前編>【BEYOND-CONSUL―元コンサルの生き方―】

BEYOND-CONSULでは、コンサルティング業界を経験した方々が、その後どのようなキャリアを歩んでいるかを追います。
新卒でコンサルティングファームに入社し、楽天を経てホテルの総支配人へ――。
きっかけは楽天時代に見た「個人経営で旅館をやっている夢」。30歳で観光業界への大胆な転身を果たした幾竹優士様。ホテルでは客室清掃から始まり、わずか2年半で総支配人に昇格しました。
現在は熊本を拠点に、フリーコンサルタント、地方創生プロジェクトを組み合わせた”パラレルワーカー”として活動。午前中のみの勤務で収入を維持しながら、午後は家族や友人との時間、自然との触れ合いを大切にする新しい働き方を実践しています。
前編では、コンサル時代の経験から「夢のお告げ」による人生の転機、そして観光業界で地方創生への使命感を確立するまでの軌跡をお聞きしました。
※2025年6月時点での内容です。
Index
経営者を志し、新卒でピー・アンド・イー・ディレクションズに入社
アクシス
よろしくお願いいたします。まずは、どのような学生時代を過ごされていたか教えていただけますか?
幾竹様
大学時代は理系で制御理論や、今のAIの前進モデルであるニューラルネットワークの研究をしていました。一方で、部活動はワンダーフォーゲルをやっていて、毎週どこかの山に登るぐらい登山にのめり込んでいましたね。勉強も好きだったのでちゃんとやっていたのと、あとは山に登るためにお金を稼ぐこともしていたので、割と学生時代は慌ただしく過ごしていたかなと思います。
アクシス
新卒採用時はどういった軸で企業選びをされていたのですか?
幾竹様
就職活動をしている頃から、「入った会社が突然なくなっちゃうかもしれないから、会社がなくなっても生きていけるように自立した働き方ができること」とよく言われていたので、そういう人になりたいなと思って。
かつ、働くからにはもちろん収入も生活する上で必要なんですけど、日本の魅力を世界に伝えたり、日本の競争力を高めたりするような仕事ができる人になりたいなと思っていました。とはいえ、何も知らない学生だったので、世の中のことをもっと知りたい、世の中に広く関われる仕事がしたいと考えて会社を選んでいました。
アクシス
新卒でコンサルティング業界を選ばれていますが、その背景や選ばれた企業に入られた理由を教えていただけますか。
幾竹様
コンサルティング業界を選んだ理由は、いろいろな業界に広く関われるということと、先ほど私が申し上げたような人は「経営者」だと思っていたので、経営者の方たちと関われる仕事をしたいと。いつか自分も経営者になるために、そこに近づくための一歩として最適ではないかと思ってコンサルティング業界を選んだのがきっかけでした。
ピー・アンド・イー・ディレクションズに入った理由は、社長をはじめ、当時いらっしゃる方々が優秀なだけでなく、人としても尊敬できる方たちで、フィーリングも合い、自分らしくいられる場所だったので入社を決意しました。
アクシス
ありがとうございます。コンサルタント時代の話に移れればと思うんですが、ピー・アンド・イー・ディレクションズではどういったプロジェクトを経験されていましたか?
幾竹様
会社の規模や業界問わず「何でもやる」会社なので、当時はビジネスデューデリジェンスやM&Aの支援はもちろん、中期経営計画を立てたり、新商品の開発をしたり。あとはベンチャーの立ち上げ支援など、本当に幅広く関わらせてもらいました。
アクシス
その中で印象的なプロジェクトや、自身が成長を実感できるようなプロジェクトはありましたか?
幾竹様
M&Aの支援やビジネスデューデリジェンスなどは仕事の量も質も高いレベルが求められますし、短い時間でそれをやるのでかなり鍛えられました。考える力やどういう手順で仕事を進めるべきか、社内の先輩や上長だけではなく、ファンドのクライアントの方からもすごく鍛えていただいたなという印象です。ほかにも新商品開発やベンチャーの支援、立ち上げの難しさなど、当時自分の力のなさを実感するという意味では、それもまた印象に残っています。
アクシス
コンサルタントとしてご活躍される中で転職を考えるきっかけとなった出来事はございますか?
幾竹様
ベンチャー支援や商品開発などを実際にアウトプットして、最終的に消費者に出していくとなった時に、最後の届けるところが自分たちはできないし、自分たちの名前が表に出ることもないので、その部分をだんだん知りたくなってきたんです。
最終的に自分が経営人材を目指すにあたって、その力も必要ですし、その経験をしてみたいなという思いがだんだん強くなってきたのがきっかけだったと思います。
アクシス
実際に転職をされたのはコンサルティングファームに在籍していて何年目ぐらいですか?
幾竹様
4年目ですね。シニアコンサルタントの時です。
アクシス
その時はどういった軸で転職活動をされていたのですか?
幾竹様
今から思うと「甘かったな……」と思うのですが、最終的に消費者まで商品を届ける会社であればどこでも良いかなと幅広く見ていたので、大きい会社が中心でした。特に明確な軸があったわけではないのですが。
アクシス
楽天に転職された理由は?
幾竹様
条件面と、あとは「ジャンル戦略」という楽天市場の各カテゴリーをどう伸ばしていくかという戦略を考えて実行するという役割でした。自分がやれそうなところ、自分がやっていきたい領域がフィットしていてすごく興味深かったので「行こう」と決意しました。

夢のお告げが人生を変えた。30歳で観光業界へ転身、総支配人に
アクシス
ありがとうございます。楽天時代の仕事内容について詳しく教えていただけますか?
幾竹様
私が入ったところがパソコンや家電のジャンルだったのですが、そのカテゴリー自体をどう流通量を増やしていくか。そのためにセールしたり、プロモーション企画を実行したり。当時はメーカーさんに直接交渉して出店してもらうという取り組みを広げていたので、それをやってもらえるようなプロモーションの企画が中心でした。
アクシス
1年ほどで次のキャリアを考えるようになったきっかけは?
幾竹様
当時思っていたのは、職種的にはすごく自分にフィットしていると思ったんですけど、業界的にはそこまで心が躍りませんでした。それで、「職種だけじゃ駄目なんだな」と気づいて。業界的に自分が興味関心を持てるところで、かつ職種の軸を維持しながら働きたいなと思うようになり転職を考え始めました。
アクシス
楽天という大きな会社に入られて、キャリア観に何か影響はありましたか?ピー・アンド・イー・ディレクションズは少数精鋭で、一方、楽天は組織規模も大きいと思いますので。
幾竹様
どちらもいいところがあると思いますが、私の性格的には少人数で、ある程度気心が知れた人たちと何か生み出していく方が幸福度が高い、という気づきがありました。楽天という大きな会社でどんどん新しい人を巻き込みながらやっていくのも、それはそれで楽しかったのですが、自分にフィットしているのは少人数なのかなって。それは今に生きている考え方だと思います。
アクシス
その後、転職にあたって企業探しの軸、キャリアの軸などはいかがですか?
幾竹様
「経営人材になりたい」という軸は変わらず、かつ、もう1つブレークダウンすると、競争戦略を立案するスキルは継続して磨いていきたいと思っていました。ですので、業界的に自分がどういうところに興味を持っているのか、どういう力を伸ばしていきたいのかという観点で探していきました。
ちょっと長くなりますが、そんなことを考えてた時に、ある日夢を見たんですよね。何10年後かわからなかったんですけど、自分が個人経営で旅館をやっている夢で、それがすごく楽しかった。何日も忘れられなくて、もしかしたらこういうのを僕はやりたいのかもしれないと、今の旅館業界やホテル業界に興味を持つようになっていきました。
ある時、たまたま星野リゾートの星野代表が出ていたプロフェッショナルの流儀という番組を見て、「自分がやりたいのはこれだ!」と思い星野リゾートを受けたのです。、業界を幅広く見たというよりは、ピンポイントで星野リゾートの門を叩いたという感じでした。
アクシス
夢のお告げですね(笑)。以前から観光業界に興味はあったのでしょうか?
幾竹様
多分、潜在的には興味があったんだと思います。だから夢を見たというのもありましたし。あとになって振り返ってみるとワンダーフォーゲル部で全国いろんなところに行ってそこで出会う人たちとの触れ合いだったり、旅行も好きで1人旅をしたり。寂れた温泉地が好きだったので、もともと興味はあったのだと思います。
アクシス
それまでコンサルティング時代の経験が1番長かったと思いますが、ホスピタリティ業界、観光業界への転職に対して不安はありましたか?
幾竹様
いや、もう全くなかったですね。ちょうど30歳で「環境を変えたい」という思いもありました。それまでずっと東京で暮らしてきたので。だから、明るい未来しかイメージしていなかったです(笑)。
コンサルで学んだ、全体を構造化して優先順位を示すリーダーシップ術
アクシス
次に星野リゾート時代の話ですが、どういった役職で、どういった業務を担われていたのですか?
幾竹様
山口県の長門湯本温泉にある界 長門(かい ながと)の開業メンバーとして入社して、最初の2年半ぐらいは一般スタッフとして客室清掃をしたり、料理を提供したり、フロントでチェックインしたりなどをしていました。2年半経った頃に総支配人を担うようになって、施設全体のマネジメントとして業績管理やスタッフの育成、評価、運営の改善もスタッフと一緒にやっていました。
界 長門は星野リゾートで初めて温泉街の活性化のプロジェクトの一環で開業した施設だったので、ほかの旅館やまちの皆さんと一緒にまちづくりをするという役割も施設の代表として参加していました
アクシス
そういったご経験の中で、最も印象に残っているエピソードがあれば教えていただけますか。
幾竹様
初めて何十人かの組織の代表として施設全体の経営に関わらせてもらい、最初は右も左もわからずに、スタッフからも「どれどれ」みたいに見られていて、すごく大変でした。そうなるとどうしても「自分で何でもやろう」としていたので。
でも、だんだん慣れてきて、スタッフの皆さんにも考えてもらうようになると、それぞれの力が発揮されていくのを感じたのです。もちろん会社によって違うとは思いますが、星野リゾートは、それぞれのスタッフが前向きで頼もしい方が多く、そのような人たちを生かすというのがマネジメントの役割の1つなんだ、というのをその時に痛感ました。それが一番印象に残っている体験になります。
アクシス
星野リゾートも含めて観光によって地域を盛り上げていくために、地元の方たちと関わる中、関係構築する上で工夫されていたことはありますか。
幾竹様
そうですね。まちの方にとっては「星野リゾートさんが来たから何かやってくれるだろう」という期待もある一方で、外部から来た者という意識もあったと思います。しかし、よそ者のような振る舞いをすることも、上から教えることもせず、同じ目線で物事を見て、同じ目線で関わることを意識しました。まちのイベントには基本的に全て参加し、毎日掃除するなど、日常てきな活動を通して関わっていきました。
アクシス
もともと地元の方たちが築いていたところに入っていくと。
幾竹様
そうですね。「一緒に盛り上げましょう」というスタンスはすごく大事にしていましたし、地元の皆さんがあってこその温泉街なので。自分も地元の方と同じ気持ちになることは大事だなと思っていました。
アクシス
コンサルティングファーム時代の経験が生きたなと思われるエピソードや、そういった機会はありましたか?
幾竹様
全体像を捉えるところですね。どうしても興味あることで「これをやってみたいよね」とか、「これ最近問題だからこっちからやろうか」となりがちですが、まずは全体像を捉えて、その中で1番問題になっているところからやりましょうと。そういうのを示しながらお話しできたり、視野を広く、視座を変えてみたりするところは、生きていたと思います。
アクシス
その後、OMO5熊本に転任されますよね、OMO5熊本の総支配人としてどのような取り組みに力を入れられていましたか?
幾竹様
大きく2つあります。1つ目は施設の運営の土台をしっかり固めることです。開業から約1年が経っていて、開業当初はとにかく日々の営業を回すことで精一杯です。私が行った時は2年目に入るところだったので、それまでの取り組みを固めて、今後の飛躍の土台を作ることが役目でした。そのため、組織を整える、皆さんのサービスのレベルを揃えるなど、いろいろ出てきている問題を解決していくことに注力しました。
もう1つは、中長期的に集客し続けられるように、まちの魅力を伝えられるようなアクティビティの開発や地域の皆さんとの連携企画に取り組んできました。
アクシス
具体的にどういったことをされたのですか?
幾竹様
たとえば、施設の隣に鶴屋百貨店さんという熊本を代表する百貨店さんとのコラボをです。鶴屋百貨店の方々にOMO5熊本に来ていただいて地元の名産を紹介するイベントをやりました。
逆に私たちのホテルではまち歩きを毎日やっているので、まち歩きの鶴屋百貨店さんバージョンを企画して、館内を歩いて面白スポットを紹介するといったこともやらせていただきました。こうした連携で一緒にまちを盛り上げたり、県外から多くの方に来てもらえるように魅力を発信したりしました。
ほかは地元の製菓会社さんと一緒にコラボ商品を作ったり、地元のアーティストを呼んでロビーでイベントをやったりといろいろやりました。
アクシス
さまざまな活動をされる中で、特に印象的なエピソードはありますか?
幾竹様
鶴屋百貨店様は「熊本のいいものが集まってくる」という場所です。私たちはホテルなので宿泊のお客様がいて、何か一緒にやろうとなった時に、地元の空港にも売っていないお土産を紹介したら喜ぶのではないかという仮説のもと、地元の名産品の試食も含めて紹介するイベントを開催したところ多くの方が集まってくださいました。しかも、イベント後に、実際に鶴屋さんに行ってお土産を買われる方もいて、「そういうニーズがやっぱりあるのだ」とわかりました。
加えて、イベントのタイミングも重要で。宿泊者は泊まった日から「会社にどういうお土産を買って帰ろう」と悩んでいるので、そのタイミングでイベントをした方が1番刺さるんじゃないかと考えたのです。実際にそれがぴしゃっと当たったのですごく嬉しかったし、楽しかったです。
アクシス
OMO5熊本の総支配人様としていろいろご経験される中、どのようなスキルや経験が得られましたか。
幾竹様
先ほどの界 長門と近いのですが、戦略を立てることはコンサル時代からやっていたことなので、ある程度はできるようになったタイミングでした。
次にスタッフの皆さんを巻き込んでどうしたら戦略を理解してもらえるか、どうしたら実際にやってもらえるか、そうしたコミュニケーションやリーダーシップの取り方など、「実行の肝」をすごく考えさせられました。自分はまだまだだと思うのですが、少しはコツを理解できたような気がして、そこが1番の成長ポイントなのかなと思っています。

1人旅で感じた『もったいない』が確信に、温泉街の復活で見つけた人生のミッション
アクシス
ありがとうございます。地方創生に興味を持つようになったきっかけは、やはり星野リゾート時代のご経験が影響しているのでしょうか?
幾竹様
そうですね。「星野リゾートで働きたい」と思った理由を、なぜかと考えると、先ほどの夢の話もそうですが、もともと1人旅をするのが好きで。元気がなくなってしまった温泉街に行って、その土地で出会う方と一緒に飲んだりする中で、昔はすごく賑わっていたのに時代の流れで元気がなくなっちゃったと。でもすごくいいところなんですよね。ご飯も美味しいし、景色も綺麗だし、温泉も出ているし、もったいないなとすごく思ったんですよね。
その後、星野リゾートに入社して、湯本温泉街がどんどん元気になっていく様子を見た時に、自分が1人旅をした時に思っていたことをもっと広げていきたいな、とうことで確立されていきました。
アクシス
星野リゾート時代の経験で、以前から課題に思っていたところをご自身で解決したというプロセスを経験したことで、さらに地方創生のやる気が生まれたということですね。
幾竹様
そうですね。まちの皆さんがどんどん自信を持って「もっといろんなことをやろう」と熱を帯びていく様子はすごく印象的でした。それはほかのところでも展開できるんじゃないかなと思っています。
アクシス
今はフリーコンサルや地方創生のプロジェクトにも関わられているとのことで「パラレルワーカー」として活動されていると思いますが、星野リゾートを退職されるきっかけは何でしたか?
幾竹様
1つのきっかけは、異動になったというのがあります。星野リゾートにいながらいろんなお仕事をさせてもらうのも良いかな、と思っていましたが、自分は九州にいたいと思うようになっていた。それなのに九州を離れなければならないと。もちろん異動してもその先がつながっていればいいと思いますが、私の場合は先が見えなくて。一方で「自分で何かやってみたいな」という気持ちもだんだん湧いてきていたので、だったら仕事を辞めて、ちょっと休みながら、少しずつ仕事を探していこうかなという方向にシフトしていきました。
アクシス
実際に辞めると決断してから星野リゾートを辞めて次の仕事を探すまで、どういった過ごし方をして、どうやって仕事を見つけていかれたのですか。
幾竹様
旅行にはよく行きましたね。旅行に行ったり、野球を見たり、散歩したり、ぼーっとしている時もありましたし、本当に休んでいました。あとは日頃、なかなかできなかった分野の勉強ですね。経済学を勉強したり、建築にも興味あるので建築の教科書を買って読んだり、なかなか読めない哲学書にチャレンジしてみたりと、そういったことに時間を費やしていました。
アクシス
そこから次の仕事を探そうと思った心の変化はどういったタイミングだったのですか?
幾竹様
休みながらも「どうやって生きていこうかな」と考えていて、自分は戦略などを考えるのが好きなので、それを続けていきたいなと思ったんですよね。そう思っていた時にいくつかお声がけをいただいて、話をしているうちに「やってみない?」という話になって関わらせてもらうようになりました。


