橋本じゅん氏が語る、40年のキャリアで見つけた“仕事の本質”【キャリア・ダイアログ─ プロの仕事術─ vol.02】

舞台・映像の両軸で存在感を放ち続ける俳優・橋本じゅんさんが、6年ぶりに劇団☆新感線の本公演『爆烈忠臣蔵~桜吹雪THUNDERSTRUCK』に帰ってきました。40年にわたって第一線で走り続ける橋本さんが語るのは、「決断」や「成功」といった派手なキャリアストーリーではなく、目の前の仕事に全力で向き合い、心と体の“持ち球”を磨き続けてきた日々の積み重ねです。
イギリスでの介護ボランティア経験、映像と舞台を行き来する中で見えてきた“リアル”と“フィクション”の境界、そして歳を重ねた今だからこそ実感する「元気」と「継続」の大切さ——。
変化の多い時代に、自らの足でキャリアを切り拓くすべてのビジネスパーソンに向けて、「今、この瞬間を丁寧に生きる」ことの価値を語ります。Index
6年ぶりの劇団☆新感線本公演に挑む思い
――今回の『爆烈忠臣蔵~桜吹雪THUNDERSTRUCK』で6年ぶりの劇団☆新感線本公演へのご出演となりますが、まずは出演が決まった時のお気持ちからお聞かせいただけますか。
私は劇団員なので、「出る」こと自体に違和感はないはずなのですが、6年という時間が空くと、だんだん「自分にできるのか?」と不安になってきました。その間ずっと、客席からみんなの活躍を見ていた一方で、自分は体調や生活環境のこともあり、映像の方に自然と向かっている流れだったのです。
――たしかに近年は映像でのご活躍も目立っていらっしゃいます。その流れの中で、舞台に戻ることに迷いはありましたか?
正直、揺れました。特に映像の現場だと、「その人は、本当にどういう人?」という部分に真っ向から向き合うので。新感線でやってきたような、“ありえないもの”や“トリックスター的な存在”を演じる世界とは対極にあります。
自分もそっちにどんどん興味が湧いていた時期だったので、いざ新感線の出演が決まった時に、「この半年、また全部持っていかれるな」と思いました(笑)。
――半年という長期公演、しかも新感線となると、体力的にも精神的にも相当ですよね。
これを半年やるということは、それこそテレビドラマ2クール分のボリューム。映像では、毎回出会う人、現場の空気、すべてが学びで、全員が“先生”だと思っているんです。
だから「この学びの機会を逃すのか」とも思いましたし、一方で、映像にある「喜怒哀楽」だけではない、舞台にしか作れない“爆笑”という有機的な感情のやりとりができる。それがあることは、とても魅力でした。
今の世の中、少し世知辛いので。そういう中で、“観客とのエネルギー交換”ではないですが、リアルなお客様と対面して「少しでも笑顔になってくれれば」という感覚が、天秤の上で自然と重くなっていきました。
それに、自分はやっぱり新感線に育ててもらった人間ですから。1回、初心に戻って、余計なもの全部はぎ取って、もう一度ここで勝負したいなと。
――出演を決めるまでにそのようなご決断があったのですね。現在は、稽古が始まっていらっしゃるとのことですが、久々の新感線本公演に向けて、今どのようなお気持ちですか?
本当に夢を見ていたみたいです。ついこの間もやっていたような気がするくらい。でも、いざ入ってみると、「もう自分の持ち球を投げるしかないな」と。結果、やることはずっと変わらないんです。
――原点回帰のような感覚ですか?
そうですね。やはり21歳の時からやっているので。それが、今年で……もう40年です。自分でも「そんなにやっているのか」と思いますが、人は根本的には変わらないのだなと感じました。
でも、夜家に帰ったら体中が痛くて。今朝は、明け方に両足がつって、どんな体勢を取っても治らない。「これが今の自分のリアルか」と。そういう意味でも、稽古に戻ってきたという“日々”を実感しました。
40年在籍して見えてきた、“俳優”としての立ち位置
――橋本さんは、劇団☆新感線に40年所属されていらっしゃいますが、その40年の中で、ご自身が劇団の中でどのような「役割」を果たしてきたと感じていますか?
正直、それは今でもはっきりとはわからないです。ただ若い頃からずっと思っていたのは、“怒られないようになりたい”ということ。そのためには、演出家のニーズに対して、誰よりも早く、強く、大きく応えられる劇団員になろうと決めていました。
――まさに劇団員としてのプロフェッショナルですね。
ただある時、先輩に「そんな職業はない」と言われて(笑)。「劇団☆新感線の劇団員のプロとは何だ」と言われて、「ああ、そうか、自分はちゃんと“俳優”にならなければいけない」と気づいたんです。その時に、自分の立ち位置をもう一度問い直しました。
今は特に、実(リアル)と虚(フィクション)を行き来するような立場だと感じています。後輩やゲストの方が、かつて自分がぶつかってきた壁に同じように当たっている場面を見ることがあるのですが、そういう時に自分のスタンスや振り幅が少しでも役に立てればと思っています。
いのうえ(ひでのり)さんは、演出の時に概念や思想、意識などを、ほとんど言わないんです。伝えるのは「もうちょっとそこ、こういう声だ」みたいなこと(笑)。それで理解できる人はいいのですが、戸惑うゲストもいるので。
――言葉ではなく、感覚で掴むしかないような演出法ですね。
とても高度なやり方なんです。なので、僕自身が演出家の“通訳”のような役割を気づいた時には引き受けるようにしています。それが今の自分の役割の1つかな、と。
自由に動けることが“芝居の原点”に――イギリスで再確認した自分の価値
――橋本さんはこれまで舞台や映像だけでなく、さまざまなご経験を積まれてきたと伺っています。中でもキャリア10年目にイギリスで住み込みのケースワーカーのお仕事をされていたことがあるそうですね。その時の体験で、特に印象に残っているエピソードがあれば聞かせてください。
もともと私は映画少年でして、洋画を字幕なしで見ることが夢でした。小さなことかもしれませんが、私にとってはそれがとても大きな夢で。それがやがて「英語を学びたい」「グリーンカードを取って、アメリカ国籍を持ちたい」と、少しずつ変化し、膨らんでいきました。
60年代、70年代、そして80年代初頭くらいまでは、アメリカ文化が強く影響していた世代だと思います。私ももれなく、映画が大好きで、時間があれば映画館に通っていました。それをリアルタイムで、字幕に頼らずに理解したい――そんな強い憧れがあったのです。
でも、現実にはその夢をすぐに実現することができなかった。その後、劇団☆新感線に出会ったわけですが、「物事は10年続けてみるべきだ」と思っていたので、まずは芝居に10年取り組もうと決めていました。
――そして10年が経ち、英語への思いが再燃したのですね。
ええ。ちょうど20代の終わり、10年目を迎える頃には「そろそろこの思いに決着をつけないと」と感じるようになっていました。
とはいえ、留学の費用があるわけではなかったので、労働と引き換えにイギリスへ渡り、住み込みで働きながら午前中に教会が開いている格安の英語学校に通うというスタイルを選びました。
――具体的には、どのようなお仕事だったのでしょうか?
1日8時間住み込みで。7〜8人の若年の筋ジストロフィー患者の方を担当していました。ポケベルを持って、朝は起こしに行き、服を着せ、食事をお手伝いし、お風呂にも入っていただく。もちろんトイレにもつきそいます。その後ベッドにお連れして、「おやすみ」と電気を消すまでが私の一日でした。
――その体験から得られたことは、大きかったのではないでしょうか。
そうですね。その当時、実はいのうえさんの演出に思うように応えられない不甲斐なさを感じていた自分がいました。もちろん、英語を学びたい気持ちは本当ですが、それだけではなく、「地球の裏側まで逃げた」とも言えるのかもしれません。でも、逃げても自分の中の壁というのは追ってくるのです。
――逃げた先で、思いがけず得たものもあったのですね。
ある時、とても印象的な出来事がありました。あるレジデントの男性が他のボランティアにお風呂に入れてもらった後、ニキビのある肌を髭剃りで傷つけてしまい、肌が傷だらけになってしまったことがありました。「一度、僕にやらせてください」と頼み、ニキビの位置を確認しながら、肌を丁寧に温めて剃ったところ、すごく喜んでくれたのです。
それ以降、彼は毎日自分のお風呂の当番に私の名前を書いてくれるようになりました。その時、「自分でも人の役に立てるんだ」と、心の底から感じることができて。それは、芝居では得られなかった種類の充足感でした。
――とても温かくて、深い体験ですね。帰国後、再び舞台に戻ることを選ばれたのはどうしてでしょうか?
イギリスでの経験が、「もう一度戻りたい」と思わせてくれたのです。ちょうどその頃、劇団から連絡がありまして、「主役を務めていた古田(新太)くんが今回は出演できないので、真ん中でやってほしい」と言われて。こんなに他で活動していた私のことを待っていてくれたのだと、その一言で胸が熱くなりました。
――それは大きな転機ですね。介護現場での経験が、何か演劇に生きたと感じる瞬間はありましたか?
ありました。イギリスでは、体が思うように動かせない方々と共に過ごしていたのですが、その中で、「自分はもっとこの体を使える」と、あらためて感じたんです。そして、その時に「よし、この体を使って、夢を叶えよう」と。
その尊さを思うと、「こんなに申し訳ないくらい、自分は自由に動けるんだ」と感じました。
――その思いは、舞台に戻られてからも続いていますか?
もちろんです。ある時、新感線の公演が終わった後、アンケートに「2月に父が亡くなってから、今日初めて笑いました」と書かれていたことがありました。それを読んだ時に、「ああ、自分がやっていることも、人の役に立てるんだ」と強く感じたのです。
――それはまさに“舞台の力”ですね。
はい。「爆笑」は、舞台でしか生まれない有機的なエネルギーです。あの空間で、役者とお客様が向き合って一緒に作る笑い――それは私にとってとても大切なものです。
だからこそ、「これをやっていいんだ」と自分の中で納得できたし、今はその気持ちで演じています。
――イギリスでのご経験が、橋本さんの人生観にも影響を与えたように思います。
そうですね。あの時、本当に自分が歩けること、自由に動けることがどれだけ尊いかを実感しました。
――逃げるように行った先で、得たものも大きかったのですね。
はい。当時は、「もうすべてから逃げて地球の裏側まで行こう」と思っていました。でも、結果的にはあそこまで行かないと、自分には深く理解できなかったと思います。
――その経験が大きな転機になったのですね。
そうですね。夢を叶えているのだから、やれる可能性のあることは全部やってみようと思いました。
舞台から映像の世界へ──偶然のシフトがもたらした“リアル”
――橋本さんは近年、映像作品にも多く出演されています。コロナ禍で演劇公演の中止が相次いだことも関係されていたのでしょうか?
たしかに2年近く、劇場での公演予定が一気に飛んだという事実はありました。ただ、私が映像にシフトしたのは、たまたまでした。「コロナ禍で舞台に出ることができないから映像をやろう」と決めたわけではなく、ちょうどその時期にTBSのドラマ『MIU404』のお話をいただいて、それをやらせていただいたのがきっかけです。
「これはやらないとダメだ」と感じた作品でした。だから、“コロナ禍だったから映像にシフトした”というわけではなく、ご縁が重なったというのが正直なところです。それに、仕事はそんなに簡単に取れるものではないですから(笑)。
――実際に映像のお仕事を通じて感じられた魅力や学びはありましたか?
まず強く感じたのは、「みんなが先生だ」ということです。自分が経験していないことをすでに経験している人たちの芝居を見ることは、とても刺激的で面白かったですね。
また、ロケの現場では屋外での撮影が多くて、「今外にいていいのか?」と思うことがありました。というのも、ずっと屋内の稽古場や劇場で過ごしていたので、風も光もすべて“作られたもの”に慣れていたのです。現場で本当に虫が飛んだり、太陽が昇ったり沈んだりする中で、「ああ、今、自分は生きているな」という実感が湧いてきました。
劇場はとても快適なのですが、映像の現場はスケジュールも環境もすべて不規則です。だからこそ、舞台のように稽古するわけにはいかず、ひとりで役を作っていく作業が必要になりました。
――役作りのアプローチも舞台とは違いましたか?
実は、そんなに大きくは変わらなくて。舞台の時もそうですが、私は脚本を1から10まで全部読み込みますし、自分の台詞だけをピックアップするようなことはしません。
ただ違うのは、すべてのセットがリアルな環境であるということ。そこに自分をどう合わせていくか。これが最初は本当に難しくて、「なぜ今、こんなに合わせられなくなっているのだろう?」と戸惑うこともありました。
――環境が違えば、体も感覚も調整が必要になりますよね。
まさにそうです。暑かったり寒かったり、虫に刺されたり(笑)。でも、そういったリアルな状況に身を置くことで、人間の感覚が研ぎ澄まされるのです。
私はこれまで、舞台では“人間では考えられないようなこと”を目指してきました。でも、映像では逆に「より人間になっていきたい」という気持ちが強くなっていったのです。これは正反対のアプローチなのですが、だからこそ今、自分の中でバランスが取れていると感じています。
“持ち球”で勝負する──映像現場が教えてくれた、自分の中にあるものの大切さ
――橋本さんは40年以上のキャリアを経て、近年はドラマ『MIU404』や朝ドラ『ブギウギ』など映像作品でも大きな注目を集めています。長年の舞台経験を踏まえ、今映像の場で評価されているご自身の姿を、どう捉えていますか?
ありがとうございます(笑)。活躍しているというふうに見ていただけているなら、それはとてもうれしいことです。
もちろん、「うまくいっているな」と思う瞬間もあります。でも、すべてが良し、ということはないですね。映像の現場では撮影の順番が前後することも多いですし、脚本が完成していない状態でシーンを撮ることもあります。
そうなると、どう動いていいか判断が難しくて、「この動きは違うかもしれない」と思いながら演じることもあるんです。
――不確定な現場の中でも、結果を出さなければいけないのは大変ですね。
はい。だからこそ、最終的に自分の“持ち球”しか投げられないのだなと思います。どんな状況であっても、自分の中にあるものしか出せない。
少し堅苦しく聞こえるかもしれませんし、劇団の仲間には「じゅんがそんなこと言うの?」と思われるかもしれないですが、でも本当にそうなのです。
だから最近は、日々の過ごし方、普段の行動をとても大切にするようになりました。たとえば、「ご飯を食べる時は、ちゃんとお茶碗を左手で持って食べよう」とか、「お礼はきちんと言おう」とか――。当たり前のことですが、そういうことをしっかり意識しようと。
というのも、普段からやっていないと、しんどい時に絶対“出てしまう”のです。演技は、無意識の部分がすごく出るので。
――普段の行動から意識されるようになったのですね。
やはり映像という“リアル”に近い表現に関わるようになって、自分の中で何かが変わっていったと感じています。
ふと最近、「昔は無理してそういう“ちゃんとしたこと”をやっていたけれど、今は、自然にできているな」と思ったんです。昔は“ちゃんとすること”が演技の延長みたいだったのかもしれません。でも今は、それが自然になってきている。それも、映像の現場を経験したからこそかもしれません。
とにかく、自分の中に“いい球”を持っていたい。最終的に投げられるのは自分の持ち球だけだから、それをなるべく良い状態で持っていられるように。日々を丁寧に、心を豊かに保ちたいなと思っています。
――年齢を重ねる中で、芝居への取り組み方や仕事に対する姿勢に変化は感じていらっしゃいますか?
1つあるとすれば、「他の選択肢を考えなくて良くなった」という安心感があるかもしれません。
でもその一方で、「これしかない」という思いも強くなってきました。つまり、今の自分にはこの道しか残っていない――でもそれをやりたいし、やるしかないのだと。
だからこそ、「自分は好きなことをやれている」と思えるようになりましたし、それに気づけることが、何よりありがたいです。
一方で、「全ベット」――つまり、もうすべてをこの道に賭けているような感覚です。だから「お前、大丈夫か?」と自分に問いかける瞬間もありますが、結局はやりたいからやっている。そのシンプルさに、やっと素直に向き合えるようになってきた気がしています。
迷いながらも、やるのは“今日”──変わらぬ信念と過ごし方
――これまでのご経験の中で、大切にされてきた言葉や、座右の銘のようなものがあればお聞かせいただけますか?
これは常に心に置いていることですが、「今日しか明日にならない」いう言葉です。
つまり、明日も5年後もどうなるかわからない未来だからこそ、今日やらなかったことは明日もできない――そう思って、日々を過ごしています。
最近、大阪芸術大学時代の仲間たちと一緒に過ごしていたのですが、その頃から基本的なスタンスは変わっていないと思います。たぶんみんな、「今日の課題を今日やる」という気持ちを自然に持っていたのではないでしょうか。
私自身、もちろん迷ったり、気が緩んだりした時期もあったかもしれません。でも、根っこの部分はきっとそこにあると思うのです。気づけば、本当にあっという間に時間が過ぎていきました。
――橋本さんは長年、演劇の世界で第一線を走り続けてこられましたが、仕事に悩むビジネスパーソンに向けて、キャリアを切り拓く上で大事にすべきことをアドバイスいただけないでしょうか。
まず前提として、私は役者という仕事は、基本的には社会生活において“必ずしも必要とされるものではない”と思っています。
もちろん、それでも我々のような職業が成り立っているのは、世の中に“余裕”があるから。つまり、皆さんの生活に“余暇”や“余力”がある時に、私たちの芝居に付き合っていただけるという立場です。
でも、今の時代は少しずつ変わってきました。終身雇用という考え方がなくなり、起業されたり、フリーランスで働いたりしている方も多くなっている。そういう意味では、私たち役者とビジネスマンの皆さんが、以前よりも近い場所にいるような気がします。
――なるほど。職種が違っても、“自分の力で切り拓いていく”という意味では共通しているのですね。
自分で計画を立てて、アイディアを出して、実行して、次につなげていく。そうした繰り返しの中で、最も大切なのは「元気」だと思っています。元気があれば、働いて取り戻すこともできるし、集中力も生まれるし、やる気も出てくる。そしてもう1つは、「継続」。継続することで、自分自身に迷いがなくなり、より素直に自分と向き合えるようになりました。
“元気”と“継続” ――この2つが何より大切です。続けるには、まず元気でなければならない。この当たり前のことが、一番大切なのだと身に染みて感じています。元気がないと、好きなことも続かないし、自分を信じる力も出てこないですから。

撮影:Jumpei Yamada
ヘアメイク:杉山裕則
スタイリスト:中川原寛(CaNN)

1985年「銀河旋風児SUSANOH」より劇団☆新感線に参加。以降、なくてはならない存在として数々の劇団公演に出演。代表作となった「直撃!ドラゴンロック」シリーズで演じた主役・剣轟天に宮藤官九郎が惚れ込み、自身の演劇ユニット『ウーマンリブ』にて剣轟天を主役とした作品「轟天vs港カヲル」を上演するなど、その魅力に魅せられる業界関係者も多く、客演でも多くの話題作に出演している。また「ピーターパン」「HEADS UP!」「レ・ミゼラブル」にも続投するなどミュージカル俳優としても活躍。近年はテレビドラマでも存在感の光るバイプレイヤーとして注目を集めている。

作: 中島かずき
演出: いのうえひでのり
出演:
古田新太 橋本じゅん 高田聖子 粟根まこと 羽野晶紀 橋本さとし /
小池栄子 / 早乙女太一 / 向井 理
右近健一 河野まさと 逆木圭一郎 村木よし子 インディ高橋
山本カナコ 礒野慎吾 吉田メタル 中谷さとみ 保坂エマ
村木 仁 川原正嗣 武田浩二
藤家 剛 川島弘之 菊地雄人 あきつ来野良 藤田修平 北川裕貴 寺田遥平 伊藤天馬
米花剛史 武市悠資 NaO 千葉恵佑 山崎朱菜 松本未優 河野瑞貴 井ノ口絹子 古見時夢
【松本公演】
2025年9月19日(金)~23日(火祝)
まつもと市民芸術館
【大阪公演】
2025年10月9日(木)~23日(木)
フェスティバルホール
【東京公演】
2025年11月9日(日)~12月26日(金)
新橋演舞場
企画・製作: ヴィレッヂ 劇団☆新感線